「ぼっけえ、きょうてえ」がでえれえ面白かった話

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 岩井 志麻子先生による「ぼっけえ、きょうてえ」(岡山県の方言で『すごく、怖い』という意味)が面白すぎて、2024年の年始の夜が岡山県の風景で満たされた。
 自分も岡山県出身で、岡山県の民話である「人形峠」や「船幽霊」などの話が好きでよく読んでいたのだが、ぼっけえ、きょうてえ岡山県を舞台にした作品ということを知って飛びつくようにKindle版を買って開いてみたら、岡山県という舞台で時に伝承の妖怪の存在や、時事的な話を絡めながら人間同士が織りなす地獄の世界にあっという間に魅せられてしまった。
 明治時代の岡山県が舞台と言うこともあり登場人物は皆岡山弁を話すので、中国四国地方に住んだことがない方にとっては少し難解な表現もあるかもしれないのだが、後述で触れる地域によって微妙な差異がある岡山の方言がしっかりと描かれていることでより現実味を感じられる。

 ぼっけえ、きょうてえは、2002年に発売された岩井 志麻子先生によるホラー小説で、「ぼっけえ、きょうてえ」、「密告函」、「あまぞわい」、「依って件の如し」の4編からなる作品である。
 いずれも大変面白かったのだが、特に好きだったのは「ぼっけえ、きょうてえ」と「依って件の如し」の話が特に好きだったので、その話を中心にしたいと思うが、若干のネタバレが含まれるのでその点だけ注意されたい。


ぼっけえ、きょうてえ岡山県の中島の遊郭の一夜の夢の話

 ぼっけえ、きょうてえ岡山市の西中島、東中島という市の中心を流れる旭川という河川にある小さな2つの島にかつてあった遊郭の遊女が、客の男性に寝物語として自身の身の上話を聞かせる。
 遊女は岡山の県北の貧しい農村で産婆の母を持つ家庭で産まれだったが、産婆といっても死産の処理をしなければならない方の専門だったので、村人からは忌み嫌われ村八分に遭っていたので、幼い頃からの遊び相手は同世代の子供ではなく、産まれてすぐ川に流され腐りかけた水子だった。
 岡山市遊郭に売られた遊女は、自身が嫌いだと語る小桃という女性の話を始めるが、遊女にはある秘密があった―。

 ホラーといえば怪奇現象や妖怪を主としたモチーフが多いが、ぼっけえ、きょうてえは人間の陰惨な面にフォーカスをあてた恐ろしさがあり、村八分にされた人間の暮らしの壮絶さや、ナマラスジという岡山県兵庫県で信じられていた信仰を無くしてしまった神や鬼が通るとされている道や、水子が流れ着く川という当時の暮らしで忌み嫌われていた風習のどん詰まりの中で暮らさなければならないことの壮絶さと、死産に立ち会う際の描写のあまりの生々しさに生きていながら地獄に堕ちているのかと錯覚するかのような話が詳細なディティールで語られる。
 遊女は県北の貧しい農村で暮らしていた時も、遊郭に売られ小桃という同じ遊女の女性との間にもある罪を背負っており、自分は必ず地獄に堕ちるだろうと語るが、自身が嫌いだと語る小桃には地獄には堕ちて欲しくないとも語る。
遊女と小桃との関係を詳細に語ると本当のネタバレになってしまうので多くは語れないのだが、自身は数えきれないほどの罪を犯し、生きながらにして地獄の炎に焼かれていながらも、誰かの幸を願うという人間の情念の深さを感じられる話になっている。遊女の人生は生まれた時から壮絶なことばかりであったが、人の情念が遊女が人間であるという事を押しとどめている。
 怪異を作るのは人であると同時に、人間が獣に堕ちる事は無く人間で居られるのもまた人であるという人間の心の複雑さが描かれ、それらが遊郭の遊女が客の男性への寝物語として聞かせるという一夜の夢の話のような儚さもあり、ただ怖い・恐ろしいという感情だけでなく、人間の情念の部分も描かれることで読み終わった際に独特な気持ちよさと、それでも尚残るおどろおどろしさが何とも言えない気持ちを引き立てる。
 後述で詳しく補足するが遊女が岡山城とも言う東中島の遊郭から、汽車に乗り県北に帰っていくことを自身が地獄へ落ちることになぞらえた話のくだりと、最後の最後で共に落ちていくような語り口で締めくくられるのはとても好きな終わり方だった。

 このぼっけえ、きょうてえの舞台である岡山市の東中島は、太平洋戦争の空襲で多くを焼失してしまい今は住宅街になっているが、空襲以前は実際に遊郭があった土地であり、今でもその名残を微かに確認できる。
 東中島と西中島は15分ほど北西側に歩いて行けば岡山城があり、岡山城へと続く水之手筋という通りはかつては岡山城の敷地の一部だった。旭川をはさんで東側は門田屋敷という商人が住む地域がある中にぽつんと東中島の遊郭はあったので、川の真ん中にある島という事情を考えればどこかで納得できるかもしれない所はあるのだが、すごい所にあったのだなと感じるし、まだ岡山で暮らしていた時は少し懐かしい雰囲気がある不思議な印象を持った場所だと感じていたが、こうした作品のお陰で故郷をより深く知ることができることはとても良い体験だった。

 また、細かい話ではあるのだが、岡山県には方言が大きく分けて3種類あり、岡山市の中心部から兵庫県との県境の南部を中心とした備前地方と、倉敷から広島県との県境の南部・高梁市という県の中央から西寄りの地域を占める備中地方、津山から北側の地域の美作地方とでそれぞれ微妙に方言が異なる。
例として「〇〇をしなさい」という標準語が備前地方の岡山弁だと「〇〇せられぇ」になるのだが、備中だと「〇〇しねぇ」になり、美作地方だと「〇〇しんさい・〇〇しんちゃい」という形で微妙に変化する。
 ぼっけぇ、きょうてえの遊郭の遊女は県北の出身なので美作の訛りを含んだ岡山弁でこの話が語られるのだが、この美作の言葉のニュアンスが細かい所まで正確に再現されているので、県北の村で育ってきたかのようなリアリティが物凄く高い。
中国地方に住んだことがない方にとっては若干読みづらいかもしれないのだが、方言を用いて語られる話のディティールの細かさがここまで高く引き立てられるとは……とすごく感心した。

 遊女が客に寝物語として聞かせる話なので、どこで誰が何をしていた~などの状況描写は無く全て遊女の口から語られる話として進行するぼっけえ、きょうてえは、東中島にかつてあった遊郭の情景と遊女と客という関係にフォーカスした独特な形で進行する。
時に土着的な要素も絡みながら遊女の口から語られる地獄の世界は恐ろしくもどこか儚げな一夜の夢のようだった。


「依って件の如し」岡山県の県北のとある農村での件という妖怪の話

 依って件の如しは、岡山県の県北のとある農村で暮らす兄利吉と妹シズの話である。狐に憑かれた利吉とシズの母が忌み田と呼ばれる耕作をすると不幸が降りかかると信じられていた場所で自殺をしてしまい、利吉とシズは村人から恐れられ村八分にされ、利吉は田畑の仕事のほぼ全てを押し付けられ、シズはまだ3、4つの頃にも関わらず子守の仕事を押し付けられてようやく黒い米がわずかに含まれた麦飯が貰えれば上等で、牛が食べる稗(ヒエ)を食べる日もあれば何にもありつけずただ縮こまって飢えを凌ぐ日もあった。
 囲炉裏すらない牛小屋の釜のそばで、妹のシズはある日恐ろしいものを見る―。

 妹のシズはある恐ろしい影を見る。忌み田で、寝泊まりをする牛小屋の囲炉裏の側で。ただその恐ろしい影の事を口にしようとすると決まって兄の利吉がシズを静止するように「悪いことなら口に出すな、本当になるけん」。と止められる。利吉はシズが「兄しゃん」と言うだけでおおよその意味を察することが出来た為、シズは「兄しゃん」以外の言葉を喋る必要はなかったが、影の正体がどうしても気になるシズは村八分にされて尚、利吉とシズに唯一口を聞いてくれる竹爺に自分の見たものは妖怪か何かと問うと、竹爺はそれは件だという。
 タイトルにもある件(くだん)とは、関西地方から中国地方にかけて信仰されていた牛の頭を持つ人間の姿をした妖怪で、数日しか生きられないがその間に様々な予言を残すと言われている。
 利吉とシズは同じ母から産まれた子であったが、父の存在はおらずシズの出自についてはっきりとせずシズを酷使する村人も「牛の子じゃ」とはぐらかす。シズは竹爺との会話を通じて言葉を獲得していく事になるのだが、かつて見た「何か」の形が徐々にはっきりとするかと思えばそうではない、霞の中に居るかのような話の運び方がかなり面白い。
 また、話の中で凄惨な殺人事件が起きてしまい、犯人がなかなか見つからないというくだりがあるのだが、村人は下手人を見立てた藁人形に竹槍を刺すことで恨みを晴らす風習が描かれる。文明開化が起きた明治の世はさほど遠くない過去のように思えるが、山間の村には現代では想像もし得ないことが信じられており、村人の暮らしに根付いていることが興味深かった。
 忌み田やナマラスジもそれらの影響を残すものだが、今はもう伝承の中にしか残っていない世界の出来事をこうした形で触れられるのは嬉しいことだ。
 依って件の如しは話は暗く陰惨でもそうした当時の暮らしの跡が色濃く残っており、話の中心にありながらその姿を時に変えながらだんだんと形を成していく何かの存在と、それを告げる件の存在は、何かがべったりとまとわりついてくるようなおぞましさがある。
 言葉を獲得したシズは薄々とその何かの正体に気付くのだが、シズはそれについて触れることはない。悪いことなら口に出すな、その通りになる。
 そうして鈍色の空の下で口を閉ざしながら暮らしいてくことで災いを避けず、しかし見つめることもせず生きていく他ないのはシズが生き残るためにそうせざるを得なかったという独特な読了感残す。

 岩井先生の作品に触れたのはこの作品が初めてだったのだが、土着的な話でありながら、明治大正を生きる農村部の女性が「そうしなければ生きていけなかった」という事柄の過酷さや残酷さも時折見え隠れし、そうした世界に抗うというよりは身を任せながら知らずの内に落ちていく。そんな魅力に引き込まれるような作品だった。
 極楽も地獄も生み出すのは人で、その人と人が織りなす怪異に身を震わせる夜を過ごせるならまた過ごしたい。
 同じく岩井先生の作品で気になる作品がいくつかあるので、また読んでみたいと思う。