「ぼっけえ、きょうてえ」がでえれえ面白かった話

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 岩井 志麻子先生による「ぼっけえ、きょうてえ」(岡山県の方言で『すごく、怖い』という意味)が面白すぎて、2024年の年始の夜が岡山県の風景で満たされた。
 自分も岡山県出身で、岡山県の民話である「人形峠」や「船幽霊」などの話が好きでよく読んでいたのだが、ぼっけえ、きょうてえ岡山県を舞台にした作品ということを知って飛びつくようにKindle版を買って開いてみたら、岡山県という舞台で時に伝承の妖怪の存在や、時事的な話を絡めながら人間同士が織りなす地獄の世界にあっという間に魅せられてしまった。
 明治時代の岡山県が舞台と言うこともあり登場人物は皆岡山弁を話すので、中国四国地方に住んだことがない方にとっては少し難解な表現もあるかもしれないのだが、後述で触れる地域によって微妙な差異がある岡山の方言がしっかりと描かれていることでより現実味を感じられる。

 ぼっけえ、きょうてえは、2002年に発売された岩井 志麻子先生によるホラー小説で、「ぼっけえ、きょうてえ」、「密告函」、「あまぞわい」、「依って件の如し」の4編からなる作品である。
 いずれも大変面白かったのだが、特に好きだったのは「ぼっけえ、きょうてえ」と「依って件の如し」の話が特に好きだったので、その話を中心にしたいと思うが、若干のネタバレが含まれるのでその点だけ注意されたい。


ぼっけえ、きょうてえ岡山県の中島の遊郭の一夜の夢の話

 ぼっけえ、きょうてえ岡山市の西中島、東中島という市の中心を流れる旭川という河川にある小さな2つの島にかつてあった遊郭の遊女が、客の男性に寝物語として自身の身の上話を聞かせる。
 遊女は岡山の県北の貧しい農村で産婆の母を持つ家庭で産まれだったが、産婆といっても死産の処理をしなければならない方の専門だったので、村人からは忌み嫌われ村八分に遭っていたので、幼い頃からの遊び相手は同世代の子供ではなく、産まれてすぐ川に流され腐りかけた水子だった。
 岡山市遊郭に売られた遊女は、自身が嫌いだと語る小桃という女性の話を始めるが、遊女にはある秘密があった―。

 ホラーといえば怪奇現象や妖怪を主としたモチーフが多いが、ぼっけえ、きょうてえは人間の陰惨な面にフォーカスをあてた恐ろしさがあり、村八分にされた人間の暮らしの壮絶さや、ナマラスジという岡山県兵庫県で信じられていた信仰を無くしてしまった神や鬼が通るとされている道や、水子が流れ着く川という当時の暮らしで忌み嫌われていた風習のどん詰まりの中で暮らさなければならないことの壮絶さと、死産に立ち会う際の描写のあまりの生々しさに生きていながら地獄に堕ちているのかと錯覚するかのような話が詳細なディティールで語られる。
 遊女は県北の貧しい農村で暮らしていた時も、遊郭に売られ小桃という同じ遊女の女性との間にもある罪を背負っており、自分は必ず地獄に堕ちるだろうと語るが、自身が嫌いだと語る小桃には地獄には堕ちて欲しくないとも語る。
遊女と小桃との関係を詳細に語ると本当のネタバレになってしまうので多くは語れないのだが、自身は数えきれないほどの罪を犯し、生きながらにして地獄の炎に焼かれていながらも、誰かの幸を願うという人間の情念の深さを感じられる話になっている。遊女の人生は生まれた時から壮絶なことばかりであったが、人の情念が遊女が人間であるという事を押しとどめている。
 怪異を作るのは人であると同時に、人間が獣に堕ちる事は無く人間で居られるのもまた人であるという人間の心の複雑さが描かれ、それらが遊郭の遊女が客の男性への寝物語として聞かせるという一夜の夢の話のような儚さもあり、ただ怖い・恐ろしいという感情だけでなく、人間の情念の部分も描かれることで読み終わった際に独特な気持ちよさと、それでも尚残るおどろおどろしさが何とも言えない気持ちを引き立てる。
 後述で詳しく補足するが遊女が岡山城とも言う東中島の遊郭から、汽車に乗り県北に帰っていくことを自身が地獄へ落ちることになぞらえた話のくだりと、最後の最後で共に落ちていくような語り口で締めくくられるのはとても好きな終わり方だった。

 このぼっけえ、きょうてえの舞台である岡山市の東中島は、太平洋戦争の空襲で多くを焼失してしまい今は住宅街になっているが、空襲以前は実際に遊郭があった土地であり、今でもその名残を微かに確認できる。
 東中島と西中島は15分ほど北西側に歩いて行けば岡山城があり、岡山城へと続く水之手筋という通りはかつては岡山城の敷地の一部だった。旭川をはさんで東側は門田屋敷という商人が住む地域がある中にぽつんと東中島の遊郭はあったので、川の真ん中にある島という事情を考えればどこかで納得できるかもしれない所はあるのだが、すごい所にあったのだなと感じるし、まだ岡山で暮らしていた時は少し懐かしい雰囲気がある不思議な印象を持った場所だと感じていたが、こうした作品のお陰で故郷をより深く知ることができることはとても良い体験だった。

 また、細かい話ではあるのだが、岡山県には方言が大きく分けて3種類あり、岡山市の中心部から兵庫県との県境の南部を中心とした備前地方と、倉敷から広島県との県境の南部・高梁市という県の中央から西寄りの地域を占める備中地方、津山から北側の地域の美作地方とでそれぞれ微妙に方言が異なる。
例として「〇〇をしなさい」という標準語が備前地方の岡山弁だと「〇〇せられぇ」になるのだが、備中だと「〇〇しねぇ」になり、美作地方だと「〇〇しんさい・〇〇しんちゃい」という形で微妙に変化する。
 ぼっけぇ、きょうてえの遊郭の遊女は県北の出身なので美作の訛りを含んだ岡山弁でこの話が語られるのだが、この美作の言葉のニュアンスが細かい所まで正確に再現されているので、県北の村で育ってきたかのようなリアリティが物凄く高い。
中国地方に住んだことがない方にとっては若干読みづらいかもしれないのだが、方言を用いて語られる話のディティールの細かさがここまで高く引き立てられるとは……とすごく感心した。

 遊女が客に寝物語として聞かせる話なので、どこで誰が何をしていた~などの状況描写は無く全て遊女の口から語られる話として進行するぼっけえ、きょうてえは、東中島にかつてあった遊郭の情景と遊女と客という関係にフォーカスした独特な形で進行する。
時に土着的な要素も絡みながら遊女の口から語られる地獄の世界は恐ろしくもどこか儚げな一夜の夢のようだった。


「依って件の如し」岡山県の県北のとある農村での件という妖怪の話

 依って件の如しは、岡山県の県北のとある農村で暮らす兄利吉と妹シズの話である。狐に憑かれた利吉とシズの母が忌み田と呼ばれる耕作をすると不幸が降りかかると信じられていた場所で自殺をしてしまい、利吉とシズは村人から恐れられ村八分にされ、利吉は田畑の仕事のほぼ全てを押し付けられ、シズはまだ3、4つの頃にも関わらず子守の仕事を押し付けられてようやく黒い米がわずかに含まれた麦飯が貰えれば上等で、牛が食べる稗(ヒエ)を食べる日もあれば何にもありつけずただ縮こまって飢えを凌ぐ日もあった。
 囲炉裏すらない牛小屋の釜のそばで、妹のシズはある日恐ろしいものを見る―。

 妹のシズはある恐ろしい影を見る。忌み田で、寝泊まりをする牛小屋の囲炉裏の側で。ただその恐ろしい影の事を口にしようとすると決まって兄の利吉がシズを静止するように「悪いことなら口に出すな、本当になるけん」。と止められる。利吉はシズが「兄しゃん」と言うだけでおおよその意味を察することが出来た為、シズは「兄しゃん」以外の言葉を喋る必要はなかったが、影の正体がどうしても気になるシズは村八分にされて尚、利吉とシズに唯一口を聞いてくれる竹爺に自分の見たものは妖怪か何かと問うと、竹爺はそれは件だという。
 タイトルにもある件(くだん)とは、関西地方から中国地方にかけて信仰されていた牛の頭を持つ人間の姿をした妖怪で、数日しか生きられないがその間に様々な予言を残すと言われている。
 利吉とシズは同じ母から産まれた子であったが、父の存在はおらずシズの出自についてはっきりとせずシズを酷使する村人も「牛の子じゃ」とはぐらかす。シズは竹爺との会話を通じて言葉を獲得していく事になるのだが、かつて見た「何か」の形が徐々にはっきりとするかと思えばそうではない、霞の中に居るかのような話の運び方がかなり面白い。
 また、話の中で凄惨な殺人事件が起きてしまい、犯人がなかなか見つからないというくだりがあるのだが、村人は下手人を見立てた藁人形に竹槍を刺すことで恨みを晴らす風習が描かれる。文明開化が起きた明治の世はさほど遠くない過去のように思えるが、山間の村には現代では想像もし得ないことが信じられており、村人の暮らしに根付いていることが興味深かった。
 忌み田やナマラスジもそれらの影響を残すものだが、今はもう伝承の中にしか残っていない世界の出来事をこうした形で触れられるのは嬉しいことだ。
 依って件の如しは話は暗く陰惨でもそうした当時の暮らしの跡が色濃く残っており、話の中心にありながらその姿を時に変えながらだんだんと形を成していく何かの存在と、それを告げる件の存在は、何かがべったりとまとわりついてくるようなおぞましさがある。
 言葉を獲得したシズは薄々とその何かの正体に気付くのだが、シズはそれについて触れることはない。悪いことなら口に出すな、その通りになる。
 そうして鈍色の空の下で口を閉ざしながら暮らしいてくことで災いを避けず、しかし見つめることもせず生きていく他ないのはシズが生き残るためにそうせざるを得なかったという独特な読了感残す。

 岩井先生の作品に触れたのはこの作品が初めてだったのだが、土着的な話でありながら、明治大正を生きる農村部の女性が「そうしなければ生きていけなかった」という事柄の過酷さや残酷さも時折見え隠れし、そうした世界に抗うというよりは身を任せながら知らずの内に落ちていく。そんな魅力に引き込まれるような作品だった。
 極楽も地獄も生み出すのは人で、その人と人が織りなす怪異に身を震わせる夜を過ごせるならまた過ごしたい。
 同じく岩井先生の作品で気になる作品がいくつかあるので、また読んでみたいと思う。

映画 カラオケ行こ!感想(ネタバレ有)

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 和山やま先生原作の「カラオケ行こ!」の映画版を見てきた。完全に初見で見に行ったらあまりにも面白すぎて帰り道に原作を買ってあっという間に夢中になった。

 カラオケ行こ!は、四代目若林組の若頭補佐である成田 狂児が組で行われるカラオケ大会で最下位になった人間に待ち受ける恐怖を回避する為、合唱部の岡 聡実をカラオケに誘う事から物語が始まる。

 組のカラオケ大会で最下位になった者に待ち受ける恐怖とは、組長直々に恐ろしく下手なイレズミを彫られる事なのだが、組長のイレズミが恐ろしく下手で嫌だという、いい意味で抜けたようなシュールな会話の内容がとても面白い。
 また、狂児は聡実に一曲聞いてほしいと頼み、X-JAPAN「紅」を披露するのだが、紅だー!の歌い出しの絶叫と、コブシとヘドバンを交えながら歌う狂児のインパクトは絶大だった。
 しかし、熱演だった狂児の「紅」も、「終始裏声が気持ち悪い」と聡実にバッサリと切り捨てられる。中学生がヤクザに向かって放たれるとは思えない一言のアンバランスな印象と、それを受けて激昂する事もなく、どうして?と聡実に詰め寄ろうとする狂児の前向きさも見ててとても気持ちいい。
 ヤクザと中学生という関係ではなく、あくまで歌の専門家と教え子の立場で、専門家としての評価を聞きたいという狂児の姿勢がとても優しくて、シュールで楽しい時間が続きながらも、大人が子供に対してきちんと接しようとしている姿勢がとても優しくて、笑いながら優しい世界を感じられるという強烈な冒頭だった。

 映画「カラオケ行こ!」は、主人公の聡実がまだ中学生という事もあり、大人目線で子供と接する時はこうあってほしいという気遣いが至る所でさり気なく描かれる。
 狂児をはじめ、組の人間は聡実が居る前ではタバコを吸わない、相手が中学生だからと言ってイキがったりしない、プライベートに干渉せずに適切な距離を保つなどなど。
 ヤクザが学生と交友関係を持つのはどうかというそもそもの話があるにはあるのだが、狂児と聡実の関係は友達のようでありながら、そこには子供と大人という明確な線引があって、狂児をはじめとする大人サイドはそのラインを超えないように気を遣っている描写がつぶさに描かれている所がとても良かった。
 聡実の学校生活にも同じような配慮があり、合唱部でソプラノのパートを担当する聡実は変声期によって思った音が出せず悩み、時には部活をサボるこどもあるのだが、そんな時に聡実が行くのが映画部の栗山の元だった。
 これは原作には無い描写だったのだが、聡実と栗山の二人は昔の映画を鑑賞しながら等身大の中学生らしい話題を語らう。聡実にとっては声変りという目を背けたい現実から目を逸らしてもいい場所があるという事が思春期特有の生きづらさとの付き合い方をきちんと示してくれているような気がしてさり気ないシーンながらもすごく良いシーンだと思った。

 そうした脚本サイドからの気遣いを感じながら、「カラオケ行こ!」の独特なシュールギャグを楽しめるのがとても楽しい。
 聡実の実家の解像度がすごく高くて、亀柄の傘を使うのが恥ずかしいと言う聡美に母親が買い与えたのは同じような絶妙にダサい柄のツル柄の傘だったり、合唱部のコンクールの日が迫る中両親が買ってくれたお守りが絶妙にダサかったり、恐らく誰もが一度は経験したことがあろう出来事があってものすごく楽しい。
 特に傘のシーンは、狂児に初めてカラオケに誘われた日忘れた傘を翌日学校の校門の前で狂児がその傘をさしている所をクラスメイトに目撃されて「あんな傘を持ってるのは聡実くんしかいないよ」と言われたことがきっかけだったので、クラスメイトに傘の柄がダサいと思われたかもと思い母に新しい傘を買ってとねだるくだりからのそれだったので、実家の解像度を高く感じながらオチに笑うことも出来る映画版ならではのとても良い追加エピソードだと思った。

 聡実の実家に限らず本編にはそんな絶妙に笑えてしまうギャグシーンがつぶさにあり、中でも狂児の兄貴分が死んでしまったかと思えば、実はひまわり音楽院というヤクザに似つかわしくないあまりにも可愛らしい場所に通うだけだったり、過去に歌ヘタ王になった「キティちゃん恐怖症」の男の話だったり、劇場の中に居ながら思わず声を出して笑ってしまうようなギャグシーンが多い。
 狂児と聡実の絶妙な関係性をしっかりと描いたり、中学生の聡実の悩みを脚本や演出側で優しく向き合いながら、時には真剣に向き合っている合唱から逃げることも許してくれるような安心感もあり、また実家のような安心感もある。不思議だけどとても気持ちがいい作品だった。

 腰を据えて見るぞ!と思って、見終わったら考察を始めて……という映画も大好きなのだが、「カラオケ行こ!」は、軽い気持ちで映画館に入って、楽しかった〜という気持ちの良い終わり方でカジュアルに楽しめる、それでいて優しさに満ちた作品なので、映画館を出てから救われたような気持ちになれるとてもいい作品だった。
 自分は原作も何も知らない完全初見の状態で見て、予備知識とか無くて大丈夫かな……と思っていたのだが、それでもその後夢中になるくらい楽しめた。

 今日、なんとなく映画を見たいけど何にしようかな。と思っている時、「カラオケ行こ!」はその気持ちを楽しく優しく満たしてくれる。
 正直あと5周はしたいと思うほど気持ちのいい作品に出会えたことがとても嬉しい。


 ここから先は個人的な趣味の話になるのだが、主演を務めた狂児役の綾野 剛さんと、齋藤 潤さんのお二人の顔があまりにも良すぎる。
綾野 剛さんは、以前から知っていたという訳ではなく、最近公開されたNetflixで配信中の「幽☆遊☆白書」の戸愚呂弟役をされていて、戸愚呂兄弟のVFXに焦点を当てたメイキング映像Netflix公式が公開されていたので、インタビューに答える綾野 剛さんを見たことが初めてだった。少し話は逸れてしまうのだが……。
 戸愚呂弟は合成の関係上、役者さんの演技が残る部分は顔しかなく、その顔の演技もキャプチャーの工程が含まれるので、演技はしづらく無いかと質問するインタビュアーさんに対して、「普段は役者として指先まで集中して演技に臨んでいるが、顔だけで良いなんてこんなに贅沢なことはない。むしろ演技の幅も広がりとてもありがたかった」と答えられていて、なんて謙虚でストイックな方なんだろうと思った。
 そして何より顔があまりにも良すぎて、ほぼそっちに見とれていた。様々な経験をされたのであろう貫禄が顔のディテールの部分に現れており、それでいて霞の中に消えてしまうのではないかという危うさや儚さもある。
 簡単に言うなら男性が憧れるようなセクシーさを持っている方だと思い、同性ながら綾野 剛さんに夢中になってしまった。
 綾野 剛さんの公式Instagramに「カラオケ行こ!」の撮影の合間に撮られたのであろう写真がアップされているが、その写真のセクシーさたるや、ものすごいものがあった。

 齋藤 潤さんは、綾野 剛さんとは対称的で、まだ16歳という大変お若い方で品行方正で特に顔がきれいすぎる。こんな美少年がこの世にいるんだ……と思わせられるような思いと、フィルムの中で演じられる聡実としての成長の瞬間を見られるなんて、なんて尊い事なんだろうと思った。
 このお二人が完成試写会のインタビューで、特に齋藤さんが緊張してもじもじとしながらも、来た質問にはしっかりと答えられていたので本当にすごいと思った。16歳の自分が同じ立場だったらまず絶対に無理だと確信できる程しっかりとした受け答えをされていたので、とともきれいで可愛らしい印象がありながらも、芯の部分はもの凄くしっかりされているんだろうな……と思った。

 まだまだ上映が続いてくれるなら繰り返し何度も見たい、そしてギャグに笑いさり気ない優しさに包まれたいと思える、「カラオケ行こ!」はとてもいい作品だった。

Octane RenderでAOVを正しくレンダリングする際の設定を忘れていた話

 Octane Renderで映像のレンダリングをしている時、Multi-passのファイルの保存先を指定しているのに、レンダリングした結果のファイルを開くとbeauty以外のaovが存在しなくてレンダリングし直さざるを得ない事があった。
 aovが正しく書き出されている時もあれば無い時もあり、発生条件がランダムだった為、何が原因でそうなっているのか分からなかったのでずっとなんでや…と思っていたのだが、割とシンプルな方法で解決する事が出来たので自分が忘れない為にメモとして残しておこうと思った。

 今回の話は振り返ってみたら割と初歩的な話だったので、普段からOctaneを使われてる方にはそんな事知ってるよ…という話かもしれないので書くのは若干恥ずかしい話でもあるのだが、自分が今後同じミスをしてしまっては困るのでメモとして残しておこうと思った。


aovが正しくレンダリングされない原因

 早い話、原因はC4DのRender Settings > Save > multi-passを有効にしてしまっていた事だった。Octaneはサードパーティ製のプラグインなので、Render SettingsのOctane Renderのタブの中にRender AOV groupにaov付きのファイルの保存先を指定する所があるのだが、C4D側でmulti-passを有効にしているからいいでしょ…と思ってここを設定していなかったのが良くなかったらしい。



 その設定でもaovが正しく書き出される場合もあるのだが、10カットの内1つとか、3分の2くらいの数のカットのaovがbeautyのみになる事があり、発生条件もランダムだったので、原因はなんだ…?とずっと思っていた。


解決に至るまで

 未解決のまま放置してはさすがに困るので、同じ症例に遭遇している人はいないのかと思い、OTOYのフォーラムを見た所、運良く同様の現象に遭遇している人がおり、解決方法も案内されていた。



 前途で述べた通り、Render Settings > Octane Render > Render AOV group内にあるaovファイルの保存先を正しく指定すれば問題は解決する。
C4D側のmulti-passの保存先は特に指定せずにチェックを外してしまってOKという事だった。


 初歩的なミスで本当に恥ずかしい話なのだが、この方法で100カット以上のレンダリングを行ったが同様の現象には遭遇しなかったのでこれで無事解決になった。
 C4DもOTOYも悪いという話ではなく、単純にそこに気付けなかった自分が悪いという話なのだが、今後はちゃんと覚えていこうと思った。

鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎 を見た(ネタバレ有り)


  鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎は水木しげる先生原作によるゲゲゲの鬼太郎の鬼太郎が誕生するまでの前日譚を描く映画で、昭和の財政界を牛耳っていた龍賀家の当主龍賀時貞が死去した事をきっかけに、血液銀行に勤務していた主人公の水木が龍賀一族が暮らす哭倉村へと向かう。


  昭和30年代が主な舞台の作品なのだが、時代感が良い意味で反映されていて、水木のスーツがかなりゆったりめなシルエットだったり、電車内で子供が咳き込んでいるにも関わらず周りの乗客は平気でタバコを吸ったりする。

  特に後者のタバコのシーンは今の時代で考えたらまずあり得ない風景がそこにあって、昭和の何と言うかとてもおおらかな時代性を感じた。自分は平成産まれだから昔の映像を見たり想像したりする事でしか昭和を感じることは出来ないのだけど。

  喫煙者である筈の水木は子供の咳き込む声を聞いて吸おうとしていたタバコを吸うのを躊躇うというさり気なく水木の人間的な部分に好感が持てる描写を描いてくれるおかげで嫌な印象を持つこともなく、水木のキャラクターを理解できるさり気なく良いシーンだと思ったし、ありのままの昭和の時代を描こうという意図がはっきりと感じられるとてもいいシーンだと思った。


  哭倉村は鬼太郎が居て既に廃村になっている現代と、水木と鬼太郎の父の二人が出会う昭和の時代と2つの表情を持っており、哭倉村には何か不穏なものがあるという確信を序盤から察する事が出来るようになっているのだが、昭和の時代で水木が哭倉村に到着した時は不穏な風景は無く、よく日が届く明るい村という風景になっていたのがとても良かった。

  一部を除けばその場所自体におかしな所はなくて、あくまで怖いとされているのはそこに住む人間たちの集団心理なのだという事が分かるのは、水木が龍賀家の広間に入った時に来る哭倉村の住民たちの冷ややかな目線と、幻治たちが捉えた鬼太郎の父をマサカリを使ってその場で斬首しようとするのを止めに入った水木の一言で場の空気が凍りついてしまう、誰もその場で行われようとしていた殺人行為を疑問に思っていない所が象徴的でとても良かった。

  哭倉村の人間は一部だけではなく全員おかしいのだと言う事がここではっきりと分かって、たまらねぇ〜〜と思った。


  それをきっかけに水木と鬼太郎の父は哭倉村の血液製剤Mの秘密に触れていくことになるのだが、水木は南部戦線での経験を元に感じた不平等を何とかする為に自分が成り上がること、鬼太郎の父は行方不明になった妻を探すという目的からブレないのがとても良かった。

  水木は哭倉村の深部に触れていく過程で人並みに葛藤をする事はあるのだが、その葛藤を外部に漏らして告発してやるだとか、それは間違っていると頭ごなしに言ったりせず自分の内側に留めておくのがとてもいい。

  中でも孝三の日記を破り捨てて、日記の内容を頭の中に留めておくのは水木のそういう性格が出ててすごくいいなと思った。

   それはそれとして、重要なヒントになるものを破いて全部頭の中に入れたってセリフを言うの、全オタクが一度はやりたい事ランキングトップクラスに入るでしょと思った。やらないけど出来るならやってみてぇよ。


  あとエンディング後のCパート、墓場鬼太郎の1話に繋がっててすごく良かったんだけど、墓場鬼太郎と明確に違うのは水木が生まれたばかりの鬼太郎を突き飛ばさなかった事で、すごく光を感じる終わり方だった。

  ゲゲゲの謎を見る前に東映アニメーションの公式YouTubeチャンネルが墓場鬼太郎ゲゲゲの鬼太郎TVシリーズの1話を公開してくれていたので、ゲゲゲの謎を見る前に予習してから見に行った。

  中でも2008年にノイタミナで放送された墓場鬼太郎の1話がすごく好きで、人間の心の弱さや幽霊族の鬼太郎と人間との絶妙な心の距離があるようにあるだけという様が描かれているのがとても好きだった。


  ゲゲゲの謎で鬼太郎が片目なのは鬼太郎の母が血桜に囚われていた時に出来た目の傷が引き継がれているような描かれ方があったり、鬼太郎の父が不治の病に冒されていたのは哭倉村の狂骨の影響だった事がしっかり描かれていたのですごく自然な形で納得出来たし、光を感じる終わり方もとてもいいな…となった。


  ところで水木の話ばかりしている事に今更気付いたのですが、水木とても好きです、ハイ。

ワタシ、疲れた男、トテモスキ。

  キャラデザがとにかく良かったり、スーパー絵がうまいアクションシーンの作画も見れたり、公式サイトのキービジュアルのレイアウトが天才過ぎたりいい所がとにかくいっぱいあるのですが、自分にとっては水木がひたすら良かった映画だったと思います。

2023年買ってよかったベストバイ一覧

ガジェット


Pixel Buds A Series

store.google.com



以前日記でも書いたのだが、外出中でなくても洗い物や掃除をしている時に集中力が散漫になってしまうのを防げたり、ちょっと楽しい気持ちになれたりするのでいい買い物だった。
Spotifyを使う機会が以前より増えて好きな曲に出会える機会が増えたのも嬉しいことだ。


30W USB-C充電器

 

store.google.com



普段の生活でそんなに使うことは無いが、旅行などの際にUSB Type-Cが刺さる端子が無くて困るということがあり、泣く泣くノートPCの接続端子に繋げて充電をしながら寝るという事が何度かあった。
無いと積む訳ではないが、こういうものが一個でもあると安心できる。
自分はストアのポイントが余ってたのでGoogle純正のものを予備として買ったが、純正じゃなくてもAnkerのポートが複数個ついてるやつとかでもいいかも。


BoYata ノートパソコンスタンド

 



これは今年買ったものではないのだが、かなりお気に入りのアイテム。
自分はメインPCで作業をする際、マウスとキーボードとワコムの板タブを使って作業するのだが、マウスは良くても板タブとキーボードの配置をどうするかで迷っていたことがあった。
板タブの奥にキーボードを置くとショートカットを押したりタイピングする時に手を伸ばさないといけないのが若干ダルいし、かといって逆にすれば板タブが使いづらくなるのも良くないので、このスタンドを買うことにした。
本来想定された使い方ではないが、筆圧をかけてもヒンジが動くことはないし、このスタンドの下にキーボードをすっぽりと収納できるので手を伸ばさないといけなくてダルいという事も消えた。

また、本当にちょっとした小技だが、なにかしらに繋ぐケーブル類をスタンドの下に通すことで若干ではあるがテーブル上の配線がほーんの少しだけスッキリすることも嬉しかった。

出先でPCを開いてファンが回りだしたときに若干焦るので、外出用にもう一個持っていてもいいのかもしれない。


ゲーム

FINAL FANTASY XVI

 

jp.finalfantasyxvi.com



以前日記にも書いたのだが、ひたすら楽しかった。
お話がめちゃくちゃ面白くて、ゲームの難易度を自分の匙加減で変えられるのがすごく良かったし、アビリティを組み合わせて立ち回りを考えるのが楽しすぎてとにかく面白かった。
FFは前作のXVもすごく好きだけど、FFを好きでいられるのは改めて嬉しい事だなと思った。

このゲームのお陰で今年の夏の思い出を素敵な形に出来たのがとてもいい経験だった。


ARMORED CORE VI FIRES OF RUBICON

 

www.armoredcore.net


まだクリアできてないし、ACシリーズをプレイしたのはこれが最初だけど、やりごたえの塊すぎてマジでおもしろい。
機体のアセンブルを検討しまくったり、手応えのあるボス戦で相手のHPを半分削った時に来る攻撃パターンの変化を初見で見た時にどうするんだよこれ…と思いながら死んで、あーでもないこーでもないとウンウンしている内に少しずつ光明が見えてくるような感覚を覚えるけど、その光明もフェイクの時もあるしやってる時は本当に苦しいけど、こういう事をしてる時が一番面白い。

まだまだプレイ出来るので絶対に攻略サイトを見ないでクリアまでいってみせる。




文庫・漫画

同志少女よ敵を撃て

 

 

きっかけはテレ東ワールドポリティクスの豊島晋作さんのコーナーで良書だと紹介されていて読んでみたらとても面白かったし何より読みやすかった。

帝政ロシア時代からソビエト連邦に変わり第二次大戦時代のロシアからソ連に移り変わるまでの価値観を知る事が出来るのだけど、本編でソ連に属していた国々のキャラクター達が普段から何を考えて社会的に何を望んでいるのかを知るきっかけになったのは、とても貴重な体験だった。

そして何よりそれらの話がすごく読みやすい形にまとめ上げられている事が素晴らしいと思った。
主人公のセラフィマの周囲には歳の近い女性スナイパー達が居るのだが、戦闘時の描写を除けば彼女たちも一人の少女である事に変わりはなく、その少女の部分もしっかりと描いてくれるので、早い段階でキャラクターの事を好きになれた。シャルロッタかわいいね。

少女達によるほがらかな描写もあり、でも中にはドイツ人男性に恋をしてしまったソ連の女性の話が出てきた時に平時では何も気にしないような事が葛藤へと変化してしまう事への憂いもあり、骨太とほがらかのバランスがとても良くて何度も言ってしまうのだが本当に読みやすかった。

 

鉄鼠の檻 (1〜5巻)

 

  京極夏彦先生による百鬼夜行シリーズを漫画家志水アキ先生によりコミカライズされた作品。

  京極夏彦先生の作品はずっと通りたくてなかなか手を出せないでいた(自分は本を読むのが遅くて、めちゃくちゃ分厚い本に圧倒されてしまっていた)のだが、コミカライズ版があるということで姑獲鳥の夏から順に読んでみようと思い至った。

鉄鼠を挙げたのはこれまで読んできた作品の中で鉄鼠が一番好きで、魍魎の匣姑獲鳥の夏の順に好きだったのだが、いずれもとにかく全部めちゃくちゃ面白い。

 

  百鬼夜行シリーズはサスペンスでありながら、話の中に妖怪が色濃く関わってくる話なのだが、妖怪が目に見えるものとして描かれるのではなく、ある種の精神状態に陥ってしまった人に妖怪という憑き物がついてしまったという話で、スピリチュアルな要素はあまりなくむしろ現代で起きた出来事と昔の伝承や文化という尺度を使って物事を見るという塩梅がとても気持ちよくてとにかくすごい。

  鉄鼠は禅寺が話の中心になってくるのだが、瞑想と悟りに対する解釈が特に面白くて何度も読み返してしまった。そして何より榎木津 礼二郎の存在が光すぎてヤバい。新たな性癖が目覚めそうだ。

 

  志水アキ先生によるめちゃくちゃに美味すぎる画面で百鬼夜行シリーズをスルスルと読み進められるのはとてもいい経験だったし、これを機に原作もちゃんと読んでみたいと思った。

 

 

ザ・クレーター 1巻

  手塚治虫先生による短編集は尖った話が多くてとても好きなのだが、中でもこの短編集の鈴が鳴ったという作品は自分にとても刺さった。

  溫泉宿に訪れた旅行客は皆それぞれ過去に罪を抱えており、溫泉に入浴した時に限り鈴の音が聞こえてきてその音が彼等の罪の記憶を想起させるという内容。

  オチの最後の1ページから想起される人間の心の複雑さを描くのがとにかく上手くて、罪の意識という人間が獲得している意思のひとつを色濃く実感できる。

 

  手塚先生といえば日本国内ならその存在を知らない人を探すほうが難しい程の巨匠なのでこういう事を言うのは…という部分もあるが、アイディアが豊富すぎてすごい。

  生前のインタビューで、アイディアだけはバーゲンセールをしたいくらいあると仰っていた手塚先生のものを見る解像度の高さを改めて実感できる。

 



劇光仮面 (3巻・4巻)

 

 


先日日記にも書いたのだが本当におもしろい。
1〜2巻では特撮への愛がしっかり語られる内容なのだが、3巻から徐々に不可解な事が起きて遂に主人公が本物の怪人と邂逅して変身をするシーンは拳を握りしめるほどかっこいい。
ネタバレになるので多くは触れられないのだが、巻末の話でえ!?続きはどうなるの!?という話で終わるので、続きがひたすら気になるし早く読みたい〜と毎回なってしまう。


波よ聞いてくれ (10巻)

 

 

 


沢村広明先生による北海道のスープカレー屋の店員が失恋をきっかけにラジオDJになる話。毎巻本当に面白いんだけど、最新巻もめちゃくちゃ面白かった。
生活の中に意外な形で溶け込んでいるラジオの存在や業界のいい意味でのおおらかさ、同時にラジオ業界に漂う哀愁をしっかりと描いてくれながら随所に独特なギャグが入っており、そのギャグの加減が独特かつ絶妙で本当に面白い。

主人公のミナレが勤めるヴォイジャーの厨房に知らない間に三国志でおなじみ綺麗なヒゲの方を思わせるような人が居て、中国語でエールを送られるくだりはあまりにも突然で笑いとツッコミが止まらなかった。



オタクグッズ


推しのぬいぐるみ

 

レッドピラミッドシング ぬいぐるみwww.fangamer.jp



女性向けジャンルの方には既に浸透している文化だが、どこかへ出かけた際に推しのぬいぐるみを置いて写真を撮るという事はけっこう楽しい。
旅先で食べたものとか行った所とか意外と写真を撮らない事に気づいたので、思い出を残しておく為のものとしてとてもいいアイテムだと思った。
みんなそれぞれの推しとお出かけしてくれ。


生活用品


ポケットカイロケース

カイロをケースの中に入れてポケットなどに入れて使うもの。本来は冬場に活躍するものだが、夏場でも結構活躍してくれる。
真夏の熱帯夜にクーラーをつけてても暑くて寝付けないと思う時が何日かあって、そういう時に冷凍庫にある保冷剤を数個詰めて首や脇など太い血管が通っている所に置いておくと明確に快適度が違う。

保冷剤が溶ける過程で結露してしまうので、寝ている間に水分を吸収してくれたり、使用していない時にしっかりと乾燥してくれる布製のものだとカビの心配もなくて良い。


無印良品 シリコーン調理用スプーン

 

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おたまとゴムべらの役割を同時に果たしてくれるめちゃくちゃ便利なヤツ。耐熱性もあるので、鍋のフチに多少置いとくくらいの雑な使い方をしてもOKなやつ。
カレーを食べきる時、おたまでは絶妙に取れない所をこれ一個で全部取ってくれる。
洗い物が減るのでめちゃくちゃありがたい。


無印良品 紙製水切り袋

 

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耐水性の紙袋。袋の底面に小さい穴が空いているので調理中に出る生ごみを捨てる時、多少の水分が含まれていても気にせず突っ込める。
袋にはしっかりと底面があるので自立させる事ができる。
どこかに固定器具を置いておく必要もないので台所のシンクの三角コーナーが消滅したのがかなりデカい。


伊藤園 ルイボスティーパック ノンカフェイン

 

https://amzn.asia/d/9P8OV0C



一風堂でラーメンを食べる時、おいしいなと思ってついついゴクゴク飲んでしまうお茶が家庭でも楽しめる。
もちろん一風堂が使っているものと同じという事は無いと思うので、ルイボスティー評論家の方にとっては違いは分かると思うのだが、味は大体一緒。

水出し可能なのでティーポットにお茶パックを入れて水を入れて冷蔵庫で小一時間放置しておくだけで簡単にできる。
もっと楽をしようと思えばペットボトルのやつをまとめ買いすれば良いのだろうと思うのだが、ティーポットの容量を1リットルとした場合、1リットルにつきおよそ30円でおいしいルイボスティーが飲めるコスパの良さがかなり大きい。
洗い物が苦でなければ、なんかお茶飲みたいなっていう気持ちをご機嫌にしてくれるアイテム。


体験できて良かったこと

新作歌舞伎 FINAL FANTASY X

 

ff10-kabuki.com



春先に友達と一緒に見に行ってほぼ丸一日歌舞伎漬けの日を過ごしたのだけど、舞台装置の演出や役者さん達の演技があまりにもすごくて腰や尻の痛みなどどうでもいいと思えるくらい楽しかった。

FFXは子供の頃プレイしたことがあって、オープニングのザナルカンドにてに一気に引き込まれて、そこからもうエンディングまで一気に突っ走るほど面白かったし好きだった。

FFXをプレイしたことがある方ならお分かりだと思うのだが、物語の随所でティーダの独白が聞けるようになっていて、ティーダと一緒に等身大のスピラを感じる形になっていたのがとても好きで、歌舞伎にもその要素がしっかりと盛り込まれていてとても良かった。

中でもワッカが率いるビサイド・オーラカがブリッツボールの試合に出る最中、アーロンの口から切り出されるシンの正体について明かされた時のティーダの動揺と年相応の自分の弱い所をぶつける相手に初めて会えたことによって取り乱してしまうシーンは少し泣いてしまった。
17歳の男の子に与えていい情報じゃない、本当に。

主演で企画と演出も担当されていた尾上菊之助さんのティーダへの愛がものすごくて、自分もティーダの事は好きだったので刺さる所が多くて何度か涙をこらえそうになるシーンがあった。
というか終盤のジェクトとのバトルで泣いたし、FFXを通して感じる親子の話というテーマ、父親を何度も嫌いになってでも忘れられないし背中を追い続けたいし、大嫌いだけど同時に愛してもいるという愛情の描き方がものすごく好きだったので、それが刺さったのかもしれない。

また、自分は歌舞伎を全く知らない初心者だったのだが、オオアカ屋役を担当されていた中村萬太郎さんが陽気なテンションで歌舞伎の型や楽しみ方について楽しく解説してくれるので、歌舞伎パートに入る所作の意味も楽しく覚えることが出来るなど、歌舞伎初心者の方への配慮がすごく行き届いているし、舞台装置も役者さんも楽器を演奏される方々も全てが全力のエンタメになっていて、見終わった後しばらく圧倒されていた。

これは自分で買ったというより、友達がチケ取りをしてくれたおかげですごくいい経験が出来たので、誘ってくれてチケ取りまでしてくれた友達にめちゃくちゃ感謝している。本当にありがとうございます。

そして、舞台に立たれていた演者さんやスタッフさんの作品への熱い愛を浴びることが出来て本当によかった。
貴重な体験をさせていただけて感謝しかない。





日記 劇光仮面が面白すぎる

 

 

  覚悟のススメシグルイなどで知られる山口貴由先生による現在連載中の作品「劇光仮面」が面白すぎる。

  山口貴由先生の作品はシグルイから入って以降ずっと好きなのだが、シグルイやエクゾスカル零のような暗く先の見えない世界でも何かを信じてストイックに進む登場キャラクターの気高さと、キャラクターの心情に寄り添ったダイナミックな心情描写が特に好きだ。

 

  劇光仮面は、特美研という大学サークルにかつて所属していた29歳の実相寺二矢(じっそうじ おとや)が主人公であり、サークル時代の親友切通アキノリが亡くなった所から始まる。

  切通の通夜をきっかけに集まった特美研のサークル仲間は今は社会人として社会に溶け込んでおり、特撮とは少し距離を置いた生活を送っていたが、実相寺はフリーターをしながら未だ愚直に特撮のヒーローという存在を追い続けていた。

 

  切通の遺言で、自身が着ていたゼノパドンの特撮スーツを日本刀で両断して欲しいという事を叶えるために実相寺を含む特美研のメンバー達は実相寺の自宅に置かれているゼノパドンのスーツを斬る前に、実相寺が着用していた空気軍人ミカドヴェヒターというスーツを着用しようとするのだが、実相寺の身体が痩せこけていた事により、ミカドヴェヒターの着用を躊躇う。

 

  特撮のスーツには実装という機能が含まれており、人間の身体では再現できないヒーローや怪人の特異な能力を補う為にスーツに仕込まれた機構の事で、特美研の実装では、ミカドヴェヒターの例で言えば映像で表現される実装をより現実に近付ける為に高圧ガスを使った日本刀の射出機の実装が施されている。

  普通に振り回すだけでも危ない日本刀を更にガスを使った射出機で威力を底上げするので、普通に考えてめちゃくちゃ危険なので、特美のスーツを着用する際は最低2人以上の特美サークルメンバーの許可と立会が必要な訳だ。

 

  話は戻り、痩せこけていた実相寺に日本刀の威力を底上げする実装を操るのはかなり危険だと判断され、特美研のサークルメンバー達はミカドヴェヒターの着用を許可出来ないと実相寺に語りかけるが、実相寺はミカドヴェヒターというヒーローが持つ物語に自分の身体を近付けただけだと語りだす。

  痩せて乾いた身体でありながら筋トレによって何度も皮が剥けて再生を繰り返しグローブのように分厚くなった手の皮膚が実相寺の日々の鍛錬を裏付けていた。

 

  遺棄されたミカドヴェヒターは生者でもあり、死者でもある。

  どんなに悲愴な物語であろうと、何者でもない僕にとってはまぶしく輝いて見える。

 

  なんてストイックでかっこいいんだと思った。

  変身して別の何者かに変わるという行為ひとつでも、対象が持つ物語を読み解いて肉体や精神状態まで対象に近付けていき、自己をなるべく消してミカドヴェヒターそのものへなろうとする様は、まるで蛹が蝶になる時に一度自分の姿を溶かして別の存在へ変態をしていくかのように気高く美しい。

 

  劇光仮面はそんな特撮愛を現実的な地に足ついた視点でじっくりと丁寧に描いてくれる作品だと思っていたのだが、2〜4巻にかけて見えない所で怪人が徐々に日常を侵食していく。

  人間離れした機能を実現する実装を持ちながらも現実世界になるべく溶け込むために同じ特美研のメンバーの了承を得ないと着ることが出来ないというリアルに描かれた特美のスーツと、現実離れした能力を持つ怪人が邂逅した時、話がどのような形で変化していくのかとても楽しみだ。

 

  余談になるが、山口先生の作品で最も好きな所は登場人物の心情に寄り添った感情の描き方がとても好きだ。

 

  別の作品になるが、シグルイの藤木源之助が片腕を失って幻肢痛で苦しんでいる中、孕石雪千代との果し合いに勝利し雪千代の死体から流れ出た血溜まりの中に自身の失った腕が反射して映ったという話や、エクゾスカル零で到達者と呼ばれる正気を失いただ飢えをしのぐことだけを求めながら相手が人間であろうと見境なく捕食する者の首を前に葉隠覚悟が、何かを訴えかけながら苦しんだ末に死ぬのが人間の証なのだから、自分が無様に死ぬまでは安らかな場所へは行けないと悟るシーンがとても好きだ。

 

  シグルイもエクゾスカル零もいずれも暗い世界で何度も苦しみ抜いてきた中で 、蜘蛛の糸と見紛うような小さな光を見つけた時の描写がとても印象的に映ることが多くとても好きだし、なんなら荒れ地で一人簡素な野営をしながら粉末コーヒーを飲んで気力を回復させたいと一生思っている。

 

  劇光仮面では、ヒーローという存在に憧れながらもヒーローが居なくても良いほど平和になった世界ではヒーローは空っぽの存在であるという事を自覚している実相寺が、まだ数も目的もはっきりしないが確かに日常の中に居て人知れず人を狩る怪人と出会った時、実相寺が何を思うのか、闘いに勝利して得られる喜びと苦しみはなんなのか、まだコミックスの4巻が出たばかりであるが、今からでも早く続きを知りたいと思うほど楽しみだ。

 

  

 

 

好きな作品のことを書く : 第四回 FINAL FANTASY XVI (ネタバレ有)

  今回はFINAL FANTASY XVIの話なのですが、プレイ中の事や物語の全容について触れるので、ネタバレについては大きく触れます。

  まだ未プレイでゲームの内容を知りたくない方はお気をつけください。

 

youtu.be

 

  FFXVIが発売されてプレイした瞬間これは確実に好きになるという実感を得てから、自分の夏の夜はFFXVI一色になった。それほど面白かった。


  FFの新作が出るというのは毎回とても楽しみな事である。VIIIのCMで流れたeyes on meはもう一生忘れられないし、IXのCMでコカ・コーラとのタイアップのCMがあった時はなんて素晴らしい映像なんだと子供ながら心躍った。


  もちろんそれだけではなく、プリレンダーの美しい映像やキャラクターデザインの良さ、背景の美しさであったり、植松さんをはじめとする音楽の良さだったり、シリーズをすべてプレイしている訳ではないのだが、毎作必ずどこかに好きなものがある。という作品は今になって思えばとてもすごいことだと思った。


  今作は発売前からXIIやオウガバトルのような土の香りがする世界観での物語である事は事前に明示されていたし、どうやら復讐譚が含まれているらしいという事も分かっていたので、絶対好きになるだろうなと思ったらまさにその通りだった。

 

強烈なプロローグで心を一気に掴まれた


  物語冒頭のクライヴがまだワイバーンとして鉄王国のシヴァのドミナントを討伐する任務にあたっていた頃、タイタンとシヴァの召喚獣合戦で変化した地形を滑り落ちていきながら仲間のひとりが落石によって命を落とすシーンがあってから、同じベアラー兵である仲間に引きずられながら血に染まった岩を見つめるシーンであっ、好きかも…。となった。


  巨大な戦場で起きた兵士一人の無惨な死という見過ごされそうな悲劇の一つに遭遇しながらも、仲間の死を見過ごせず、人として自らの無力を責めるクライヴの人間的な面がしっかりと描かれていて素晴らしいシーンだと思った。


  その後の少年期の回想でフェニックスゲートでザンブレク軍の襲撃を受けた際にクライヴとジョシュアの父エルウィンが落命した事をきっかけにフェニックスに顕現したジョシュアをイフリートが何度も殴りつけるシーンでめちゃくちゃに心をえぐられた。

  クライヴのセリフの「化け物め…殺してやる!絶対に殺してやる!」の演技が素晴らしすぎて2023年で一番興奮した。あのシーンはつらいけど正直何度も見たい。


  その後廃墟になったフェニックスゲートにザンブレク兵が現れて、母である筈のアナベラに人を人とも思ってない言葉を投げかけられたり、ザンブレクの兵士に「これからこき使ってやる」と言われながらもジョシュアを想って絶望するクライヴに、このゲームは絶対に好きになるという確信を得た。


  フェニックスゲートのくだりでクライヴの復讐譚が語られるまでという道筋が描かれながら、実はジョシュアの仇はクライヴ自身なのだという事がプレイヤーにのみ明示されていて、その事を知ったクライヴはどうなってしまうのかという事に期待を持たせながら、ザンブレクのベアラー兵となったクライヴがどのような扱いを受けるのか。

  本編では勿論描かれないし、正直あったとしても描かないで想像に委ねて欲しい部分ではあるが、元王族のベアラーという立場というだけで、様々な偏見や"可愛がり"を受けてきたのだろう。

  それでもベアラー兵として生きてこられたのは弟の復讐を果たすという目的があったからなのだろう。という事が全部想像できてしまう素晴らしいプロローグだった。

 

復讐譚から人の情によって生かされる話へ


  物語序盤から中盤にかけて、クライヴの仇は自分自身だったという事をクライヴ自身が認識し、自分を殺せとシドに懇願するが、シドに殴られ自分のために動いてくれている仲間への恩を果たせと言われることでクライヴはその場では思い留まるが、その後の旅路で急流の川を見つめたりすることで自らの命を絶とうとする描写がある。


  炎の召喚獣への復讐という生きる糧を失って、更に弟を殺した罪までも背負わなければならず、まさしく抜け殻となっていたクライヴの心中を察したのか咄嗟にトルガルが止めに入るが、さり気ないシーンながら素晴らしいシーンだと思った。


  仲間から貰った恩に報いるという事を分かっていながらそれでも弟の仇である自分自身を自責する事をやめる事が出来ないでいるクライヴの心情がスイッチが切り替わるように気持ちが切り替わるのではなく、地続きで表現されている事が素晴らしいと思った。


  その後のメインクエストを進めていく上でシドの隠れ家の人間たちはクライヴに対してこれまでと変わらない態度で接してくれる事でクライヴを自然に受け入れられた。

  隠れ家のキャラクター達は過去に何かしらの事情を背負っている人間が多いが、皆それらを気にする様子もなくそれぞれがそれぞれを受け入れているという構図がクライヴは勿論、皆が生きるに足る充分な理由なのだとこの時思った。


  中盤以降クライヴが言っていた人が人として生きられる場所というのは、ベアラーなどの身分制度の撤廃が一番大きいが、過去にいかなる事情があろうともその人の事を受け入れる人間の情によって人は救われるという事がある種の裏テーマなのではないかと思った。

 

物語の中にある苦みの成分がとても好きだった


  発売前からメディアで言われていた事だが、FFXVIのメインスタッフの方々はオウガバトルでおなじみ松野さんの作品が大好きだと言われており、今作も世界観にそれらの要素が色濃く反映されている。


  ベアラーの身分制度や各国でのベアラー差別のわずかな違いや、黒の一帯の侵食によって世界の終末がささやかれながらも国同士の利権争いや領土拡大などによる衝突、個人的な愛憎や野心まで様々な事情が複雑に絡み合い世界のあちこちに人間らしさが散りばめられている。


  特にベアラーの扱いに関しては、人間というよりほぼ道具という扱いを受ける時もあるので苦い思いをするサブクエストや本編中の描写もたくさんあるのだが、貧しい世界で何とか生活しなければならない事を分かっていながらそれでも人として与えられた立場に縋り付きたいという思いがつぶさに描写される事は、物語に苦みを与えて深みを持たせる上でとても重要だと思った。


  個人的な話になってしまうのだが、物語に登場する人物が全員善人で、皆が同じ方向を向いているというのは、自分には合わない(そういった物語でもとても素晴らしいものは勿論あるし、全員善人でも好きな作品はあるので決してダメという話ではない)事が多いので、作品の世界の中にいる人は出来るだけ皆別々の方向を向いていて、時には人同士のもつれや軋轢を描いてくれる方が好きになりやすい。


  そういう意味で悪役の存在や苦い思いをするような出来事はとても重要だと思っており、FFXVIの世界はそのバランスがとても好きな形だったので、プレイをしていて物語にどんどん没入して行けた。


  中でもフェニックスゲート攻略後、ノースリーチが村焼きに遭ってしまう所から、ポートイゾルデに向かう道中で黒騎士の存在が台頭してきた一連の流れは悲しい出来事がとても多くあるが、個人的には苦みの部分をしっかりと描いてくれてとても嬉しかった。

 


遊びやすさと召喚獣に対応したアビリティをビルドする奥深さが面白い


  今作はお話がとても素晴らしかったので、語りたい所があるなら無限に語りたいのだが、システム面でも素晴らしいと思った事が多かったので、一度システムのお話にも触れておきたいと思う。


  FFXVから戦闘はアクションの要素がかなり強くなり今作も同じくアクション性がかなり高い形になっているのだが、敵の攻撃をジャスト回避したりパリィで攻撃のチャンスを作ったりと諸々のアクションを行うための猶予フレームがかなり長めに設定されているお陰ですごく遊びやすかった。


  自分はアクションフォーカスモードで、オートスロウなどのアクセサリーは基本的につけない方針で進めていたのだが、一周目の難易度が体感的にとてもちょうど良く、特にボスバトルはボタン連打してるだけでは絶対に勝てない形になっているのがとても良かった。


  ただ、ストーリーの中盤以降戦いにもかなり慣れてきて自分の戦い方のスタイルが出来上がってくると、敵に応じた立ち回りをループさせるようにして立ち回っていくと少し単調かも…と思っていたのだが、それは自分が召喚獣のアビリティを正しく使いこなせていないだけで、自分自身で単調な遊び方を選んでしまっている事に気付いてからアビリティの構成を見直すようにして、それから戦闘がより一層楽しくなった。

  数個のボタンを決まったタイミングで連打するより、状況に応じて色々なボタンをガチャガチャ押せる楽しさがあって、それらが立ち回り方によって全く別の形に変化することも素晴らしい点だと思う。


 今作は手に入れた召喚獣に応じたアビリティを各召喚獣の固有スキルを除いて2つまで自由に設定することが出来るのだが、アビリティのセット内容によって戦闘時の立ち回り方に大きな変化がある。

  ウィルゲージをなるべく早く削るためのビルドや、テイクダウン時に複数個のスキルを組み合わせて大ダメージを狙うビルドや、接近戦特化、遠距離戦特化など入手した召喚獣によって自らの立ち回り方は様々な形で変化する。


  自分の最終的なビルドは以下のような形だった。

 

  1. フェニックス |  スカーレットサイクロン / ヒートウェイブ
  2. バハムート | インパルス / ギガフレア
  3. ラムウ |  ライトニングロッド / ウィル・オ・ウィスク


  通常時はウィルゲージの削り量が高いインパルスやカウンターのヒートウェイブを中心に立ち回り、テイクダウン時はライトニングロッドを設置した後ウィル・オ・ウィスクを出しながら顕現してギガフレアを撃ち大ダメージを狙う構成で攻略をしていった。

  ライトニングロッドとウィル・オ・ウィスクの性能がとにかく高い。というかこれらのスキルがぶっ壊れだと感じるほど強かった。


  自分よりもっと上手い人はオーディンのぶっ壊れスキルこと境界転移とシヴァスナップを駆使して一度のテイクダウンで120万ダメージを出す人も居るみたいだが、自分はそこまでゲームが上手い方ではないのでインスタントに大ダメージを狙える構成にして攻略をした。


  セットするスキルを覚えたり熟練度を上げるにはアビリティポイントが必要で、色々と試そうとするとすると道中でアビリティポイントが足りない事があるのだが、その際にアビリティポイントのリセットがスキル単位でリセット可能な事で手軽にスキルのビルド変更が出来たのがとても素晴らしい点だと思った。


  他にもマップ探索中のナビゲーションだったり、サブクエストが受注できる期間がとても長かったりシステム面で素晴らしい所はたくさんあるのだが、特に素晴らしいと感じたのがアビリティ周りの所だった。

 

悪役が魅力的なのが素晴らしい


  今作の悪役と言えば物語の進行度合いによって色々と変わるのだが、代表的な人物と言えばクライヴとジョシュアの母であるアナベラだろう。


  本編を通してかなりのヘイトを買いやすいキャラクターで、フェニックスのドミナントではないクライヴを価値なしと見限ったり、フェニックスゲートの騒乱を起こした張本人でもあり黒騎士を使役してベアラーを虐殺したりまあやること為すこと役満クラスに酷い訳なのだが、最終的に彼女も一人の人間だったのだという結論に至れるような道筋が描かれていたのはとても良かった。

  アナベラがこれまでやってきた事はまあ人として許せない事ばかりなので、好きになった…と言われると違うかもしれないが、アナベラの人間らしさの部分は共感できる所があるかもしれない。という方が近いかもしれない。


  アナベラは血筋や立場に強く固執し、逆にベアラーや立場もしくは力無き者に対しては穢れた者という意識を持ち、価値なしと判断すれば相手がいかような立場の人間であれ、断罪する。

  ザンブレクにその身を移してから神皇シルヴェストルとの間に産まれたオリヴィエに心酔し、オリヴィエをザンブレクの神皇にすべく暗躍する。


  アナベラがザンブレクに身を移してからオリヴィエに心酔するまでの一連の流れがアナベラの人間性の部分を強く感じる所が随所にあり、とても良い味を醸し出していた。

  アナベラ自身はまあヤバい奴に変わりはないのだが、結局の所自らの血筋に強いこだわりを持ち自らが完全に納得する形での子供を産み育てたかったという欲求に支配された小さな人間で、ベアラーに対する強い差別意識や、アナベラの中で言う出自に陰りを持つ人間を見下すというのは全て自分の欲求の裏返しだったのだと、クリスタル自治領の攻略時に強く思った。


  明確に描かれる訳では無いが、シルヴェストルとアナベラ、オリヴィエの関係性はとても良い。

  シルヴェストルの子、ディオンが昔の優しかった頃の父様にこだわっている中でシルヴェストルは自身の孤独を感じておりその孤独にアナベラが入り込みシルヴェストルの孤独が曲がりなりにも癒やされてオリヴィエに対し新たな愛情が産まれたという昼ドラよろしくドロドロ構図は個人的にとても好きだし、この話がもし掘り下げられる機会があるならどんどん見たい。


  ここからは個人的な推察でしかないが、ディオンは側近のテランス(男性)と恋人の関係にあり、シルヴェストルとしても納得はしていたが、ザンブレク神皇の跡継ぎをどうするかという点で新たな子供を成す事に焦っており、そこへアナベラが現れたことでお互いの利害が一致した…ということなのかもしれないし、そうではないのかもしれない。


  あくまで推察で事実ではないのだが、本編中はあえて描かれないことを残してくれているお陰で想像でものを埋める楽しさや、ゲームをプレイしていない時でも描かれない部分に対して考えを巡らせることも含めてとても楽しかった。

 


好きなキャラクター


バイロン一択。


  登場時の劇の再現シーンで一気に心を掴まれた。あれはずるい。

  その後もダリミルの酒場で一悶着があった際には急いでスープを飲み干してヒゲにスープをこぼすし、そそくさとカウンターに隠れたかと思えば自分のパンと水をしっかり取りに行くし、お茶目な要素に欠かさないこのゲームの真のヒロインといってもいい程のかわいいおじさん。


  甥であるクライヴを溺愛しているが、過剰に可愛がるという事はなく、むしろ可愛い甥が生きていたからこそ甥に間違った生き方をして欲しくないという態度を一貫して描いてくれたのが非常に好感を誘ってくれるし、大金にものを言わせて物事を解決しようとする様も嫌な印象を与えない。


  FFXVIはクライヴが既に33歳でその周囲も20代後半〜50代までと大人が非常に多いが、バイロン程の年配のキャラクターの描き方がとても良い。

  過度に干渉しようとせず老婆心を見せる事もせず、共感できる事には背中を押してくれるある種理想の大人像として描かれている。

  年配になった時に自分がどう生きれば良いかという不安や悩みは尽きないものだが、こういった素敵な大人がエンタメ作品に居てくれることはある種の救いにもなったりする。


  2000万ギル分の私財を売り払って甥にドンと引き渡せるような心の持ちようは限られた人にしか出来ないだろうし、なろうと思ってもそう簡単になれるものではないが、バイロンのクライヴ達に対する接し方は一人の大人として見習いたいと思った。


  でもほしいと思った時に駆け付けてギルで解決してくれる様は本当にドラえもんのようだと思った。服青いし…。

 

エンディングの解釈


  初見の時はクライヴのみ生き残って、アルテマが作った理をオリジンもろとも破壊し、片手を石化させながらも生還したと思った。…と思ったのだが、いかようにも解釈出来そうなので、感想というよりは考察という形になる。


  エンディングで誰が生還して死亡したかを考えるには以下の要素が挙げられる。

 

  1.   アルテマが使おうとしたレイズをクライヴが使ったかどうか
  2.   エピローグの本の著者がジョシュアな点


  本の著者がジョシュアの名前になっている点は、初見の時は生還したクライヴがハルポクラテスと共にジョシュアが遺した手記を元に物語を執筆し、ジョシュアの名前で世に出したと思った。


  ただ、アルテマを倒した後クライヴがレイズを使っていたのなら本の著者はジョシュア本人となり得る。


  クライヴがレイズを使ったかどうかという明確な根拠はあまり無いのだが、アルテマの力をも吸収したこと、クライヴがフェニックスの力で一度死んだジョシュアの傷口を塞いでいた時はまだジョシュアの死を受け入れられないように感じた(これはクライヴがどうという話ではなく、普通に誰でもすぐには受け入れられない)

  また、浜辺に打ち上げられたクライヴの片手が石化していた事が挙げられる。アルテマ戦で相当消耗していたにも関わらずアルテマ戦後はまだ石化の兆候は見られなかった。

  クライヴの手の石化はアルテマが作り出した理を焼き尽くす為に使ったか、もしくはその過程の一部でレイズも使用したかの二通り考えられる。


  レイズはアルテマが言っていた通りマザークリスタルからエーテルを収集しなければならないほど大量のエーテルを消費するとされているので、手の石化がレイズによってもたらされたものと考えても不自然ではない。


  仮にレイズを使っていたとしたら、可能性として考えられるのは二通りある。

 

  1.   全員生存説
  2.   クライヴ以外全員生存説


  気持ちの面では正直全員生存していて欲しい。特にディオンに関しては自らの贖罪をするという事に固執していたが、それは生きながらえてこそという所があるので、生きていて欲しい。

  レイズを使っていなかたっとしたら、重傷を負いながらも何とか生還したか、既に死亡しているかの二通りになるが。


  ただ、前途に挙げた通りクライヴの性格がかなり自己犠牲的なので、浜辺に打ち上げられて石化した片手をガクッと降ろした時点で落命している可能性もかなり高い。

  人として全員生きていて欲しいが、クライヴのみ死亡説は正直ちょっと好きな線ではある。


  ジルを未亡人にするつもりかお前!という感情はちょっとありますけどね。

 

  長々と書いてしまったが、非常に好きなEDだったし、こういう事をあえて想像できる余地を残してくれた事に感謝しかない。正直あのEDでどうなったか知りたい気持ちもあるのだが、公式側から答えを一生明示しないままで居て欲しいと思った。


  ここには書いていないが、フェイシャルのキャプチャーによる役者さんの演技だったり、吹き替えの声優さんの演技だったり服の意匠の作り込みや背景で割と立派な城にもちゃんと木で組まれた無骨な足場があったりと素晴らしかった点を挙げたらキリが無いのだが、今回はここまでにしようと思う。


  FFの事を好きでいて良かったと本当に思ったし、今年の夏の夜をずっとFFと過ごせた体験はとても良いものだった。