好きな作品のことを書く : 第二回 オウガバトル64

  ここ最近FFXVIを遊んでいるのだが、めちゃくちゃに楽しくて一旦やり始めるとゲームをやめてからもずっとFFXVIの事ばかり考えている。

  FFXVIの具体的な内容の話は避けるのだが、この話の続きはどうなるんだろうだとか、そういう想像をする度こうなったらいいな…とか自分が想像しなかった展開を見られるといいな…とか仕事中や散歩の最中にゲームの内容について思いを馳せる時間がとても好きだ。

 

  そういった時間を過ごしているとそういえば昔プレイしたゲームのこういう所が自分は好きだったなという事をよく思い出すので、今回も好きだったゲームの話になります。

 

このゲームと出会ったきっかけはTVCMだった


  このゲームと出会った頃はまだ小さい子供の頃で、当時実家にはゲームはあったのだが任天堂のゲームしか買ってはいけない決まりがあったので、スーパーファミコンや64を中心に遊んでいた傍ら学校のクラスメイトがプレイステーションでテイルズだったりスターオーシャンだったりRPGを遊んでいるのを見ていてそれがとても羨ましかった。


  自分もそんなRPGで遊びたい!と思っていた矢先の事、テレビCMでオウガバトル64のCMが放送されていて、その内容が俳優の宮本浩次さんがバーで自問自答をしながら選択に迷う所にバーテンの方が戦わないのも選択です。とつぶやく内容のCMで、それを見てめちゃくちゃ大人向けでかっこいい!!と思ったのか、誕生日かクリスマスのプレゼントのどちらかに両親にねだって買ってもらった。


  当時家にネット環境が無くてファミ通なども買ってもらえるようなお小遣いも家風でもなかったので、具体的なゲームの内容はCMでしか察することが出来なかったので、ゲームのジャンルがシミュレーションRPGだと知らずソフトを起動して少し驚いたが(そもそもシミュレーションRPGがどんなゲームなのか知らなかった)、それまで物語がある内容のゲームに触れたのは叔母に貸してもらったゼルダの伝説 夢をみる島しか無くて、夢をみる島もめちゃくちゃ好きなゲームだったのだが、他にはマリオカートF-ZEROしか知らなかったので、これでやっと憧れのRPGが出来ると思ってかじりつくように夢中になった。

    


正義と野心が複雑に絡み合う重厚なストーリー


  オウガバトル64伝説のオウガバトルから始まるオウガバトルサーガの第六章となる作品で、オウガバトルでおなじみ松野泰己さんのプロットを元に制作されたタイトルである。これが自分が初めて触れる事になるオウガバトルシリーズになった。

  評価が賛否両論分かれる作品ではあるが、自分は思い出深くとても好きなタイトルだ。


  ローディス教国を隣国に接するパラティヌス公国の士官学校を卒業した主人公マグナスは、南部軍に配属され革命を掲げローディス教国とパラティヌス公国からの支配からの脱却を掲げる革命軍の討伐にあたるが、パラティヌス公国が従属しているローディスの一方的な支配と虐げられる人々の実情を知ったマグナスは革命軍へ志願し、ローディスの支配からの独立を志すというもの。


  当時まだ小学生だったので、話の内容の全てを理解することは出来なかったのだが、それでもオウガバトルの持つ土の香りがしてきそうな世界観と複雑な人間模様はとても好きだったし、周回を重ねて少しずつ理解していった。


  中でも当時の自分に衝撃を与えたのは、物語の序盤で革命軍に加入したマグナスの活躍により追い詰められた南部軍の指揮官であるゴデスラスが起死回生を試みようとローディスによって提供された魔界の果実を自分の家族に使用しその家族の亡骸から伝説上の魔物であるオウガが生まれるというもの。

  

  その様子がはっきりと描写される訳ではなく会話の中でそういう事をやっていた事が発覚するというシーンなのだが、悪役のふとした所に見せる人間味(と言ってもやってる事はかなりアウトなのだが)の部分が見え隠れするとは思わなくて衝撃を覚えた。


  当時の自分は主人公と悪役が存在するお話は悪は絶対的なもので、悪役は常軌を逸脱する行動を取る事に何も躊躇をしないような勧善懲悪なお話しか知らなかったので、悪役にも常軌を逸脱する行動に至るまでにそれなりの事情があって、でも自分の家族を犠牲にしてまで得たかったものが自分自身の身とプライドだったという事がなんともその悪役の人間味を表しているシーンでとても衝撃的だった。


  そして、正義が必ずしも正しい行いをしているわけではないというのは主人公サイドにも言える話で、プレイヤーの身の振り方でかつて仲間だったキャラクターと相対してしまうという事もある。

 


敵を倒すことだけを考えてゲームを進めると、今度は自分自身が新たな脅威となる存在になっていた


  初回プレイ時、ローディスの軍勢を少しずつ倒していき遂にラスボスを倒して革命軍の悲願を達成する事が出来た。これで安心してエンディングを見ることが出来ると思った矢先、マグナスは正体不明の部隊に襲撃を受けた。


  その部隊を率いるのは前作の伝説のオウガバトルの主人公であり、時には本編内でマグナスを導く師匠のような存在でもあり、仲間として共闘もしてくれていたデスティン・ファローダを初めとするゼノビア五人衆だった。

  デスティンと相対した時、今ならまだ間に合う。我々に降伏するのだ。と宣言される。最初はその言葉の意味すらわからずなぜローディスを率先して倒してきたマグナスがこのような目に逢わなければならないのかと思ったが、デスティンを撃破した後その言葉の意味を知ることになる。


  革命軍によって奪還された王都ウィニアに戻ろうとするマグナスだが、その途中革命軍の兵士によって止められ、軍へ戻る事を拒絶される。

  なぜなのかと問いただすマグナスに革命軍の兵士は戦う事に明け暮れて民を顧みない者は我が軍に必要ないと斬り捨てられ、マグナスは国を追われることになった。


  ローディスとの闘いに勝利することだけが正義だと考えていた自分自身が今度は新たなる脅威となっていて、国を追放される事になるとは思いもよらなかった。

  デスティンがマグナスに向けて降伏勧告を出したのは、本来は革命軍の新たなる脅威となったマグナスを暗殺せよという命令を受けていた筈のデスティンがマグナスに向けて出した最後の助け舟だったという事もこのエンディングを見て理解した。

この後味の悪いスーパーバッドエンドは次の周回はちゃんとやろうと思えるきっかけになってくれた。


カオスフレームなどのシステム


  本作のゲーム性は伝説のオウガバトルに近い形になっており、ひとつのフィールド内に拠点がいくつもあり、複数のユニットを動かしながらそれらを制圧、もしくは解放を進めていきながら敵本拠地の総大将を討ち取るとステージクリアという形になっている。


  ゲーム部分の進め方はプレイヤーに委ねられており、拠点をひとつひとつ制圧解放していきながらじっくり進めていっても良し、拠点には目もくれず総大将のみに目的を絞って進めていくも良しという形になっている。


  ただ、ゲームプレイ時にはほぼ見えないのだがカオスフレームという値があり、プレイヤーの行動次第でこの値が上下する。

  カオスフレームは手っ取り早く言えば民衆の支持率の事であり、拠点を制圧すれば下がり解放すれば上がる。

  制圧と解放の判定の違いは拠点にはモラリティという数値が設定されており、モラリティの値が高ければナイト等の職業中心のユニットで拠点のマスを踏む必要があり、逆に低ければバーサーカー等の職業中心のユニットでマスを踏む必要がある。

  ユニットにはアライメントという値が設けられており(簡単に言えば適正みたいなもの)踏破したい拠点に合わせたユニットをそれぞれ派遣してゲームを進めていく必要がある。


  カオスフレーム値を気にしないのであればこれらをすべて無視してゲームを進めることも出来る。


  このカオスフレームは値によってエンディングの分岐や仲間になるユニットの可否が決まるのだが、カオスフレームは隠しパラメータになっているので自分の行動の是非を自らに問いかけ続けないといけない仕組みになっているのが好きだった。

  


戦うことだけが正義ではないオウガバトルの世界観


  RPGという性質上敵と戦う事は避けられないので進行上倒すことが必要な敵は必ず居るのだが、敵を倒すことだけが目的ではない。

  前途の拠点の解放をしてカオスフレームの値を上げておく事はもちろん、クリア済のマップの街を再訪して拠点に訪れるとゲームを進める上で有利になる職業の解放要素に必要なアイテムが貰えたり、通常プレイでは仲間にできないユニットの加入などいわゆる軽いサブクエストの要素が内包されている。


  要所要所でクリア済のマップをしっかりと訪れて町民の話を聞いておくのは世界観の理解に繋がるし、前途のようなしっかりとしたご褒美も用意され、更には拠点の解放を目的にマップを攻略するとクリア時の報酬が多くなったりする。

  レベルを上げて戦闘を有利に進めることもゲーム攻略には大切なことだが行き詰まったらその時その時で必要な救済制度が用意されていて、それを得るには民間人の協力をする事で攻略の糸口を掴むことができる場合がある。


  現在のゲームではほぼ当たり前のようにサブクエストが実装されているが、本作のそれはサブクエストをこなすような感覚に近い。

  ただ、それがUI上では確認できないものになっているので、不便さを感じる所もあるかもしれないが、ゲーム側から拠点の住民の話をしっかりと聞いて彼らが望むものを提供することも大切だという意図も感じるので、カオスフレームの管理はゲームの仕組みをもっと知るための手段として個人的に素晴らしいものだと思った。

  


好きなキャラクター


  主人公のライバル格のキャラクターであるディオメデスと中央騎士のレイドがかなり好きだった。

  ディオは平民出身だが野心家で出世欲が強く感情を抑えられないタイプのキャラクターで、FFTで言う所のディリータタクティクスオウガで言う所のヴァイスのポジションに近い。


  物語序盤でディオを仲間にするか、離別させるかを選択させるシーンがあり、選んだ選択肢によってディオが味方になるか敵になるかを選ぶことが出来る。

  ゲームの正解ルートとしては多くの人がディオと仲間で居続けてもらうルートを選択する人が恐らく多数派だと思うのだが、自分は離別させるルートがものすごく好きだ。


  レイドはマグナス達が最初に所属していたパラティヌス公国の中央軍の騎士だが、選民思想が強くマグナスが所属する南部軍を下っ端としてみなしたり、革命軍に賛同する民間人を反乱分子とみなしてあっさりと斬り捨てるいわゆるステレオタイプの悪役である。

  実質的にローディスの傀儡と同様になっているパラティヌスの騎士という既得権益にしがみつきながら、一方的な支配を押し付ける象徴的なキャラクターとなっており、物語の苦みの部分を引き立てる重要なキャラクターだ。


 ディオと離別をするシーンで離別をする選択をした場合、ディオはレイドによって中央軍に迎えられる事になるのだが、革命軍によってレイドが敗走した後、逃げるレイドをディオが斬り捨てるシーンがある。

 野心の為に自分の身の回りで使えるものは何でも使い、使えないと思ったならたとえ上官であろうと斬り殺すディオの冷徹さが伺えるシーンとなっているが、物語序盤でマグナスと行動を共にしていた頃の喧嘩っ早い跳ねっ返りのディオの姿は既に無く、あんたの抜けた穴を俺が埋めてやる。と冷たく言い放ちそこから去っていくディオにかつての姿は既になくゾクッとした感覚を覚えた。


  ディオはその後、マグナスと直接殺し合うことになるが、敗北後薄れゆく意識の中で自分がしてきた過ちを悔いながら本当はマグナスのようになりたかったと言い残し息絶える。

  離別ルートは悲しい話だが、ディオが本当に追い求めていたものは生活に困らない程の立場を手に入れることではなく、マグナスが持っていた仲間からの信頼や友だったという事が分かるルートになっている。


  ディオに限った話ではないが、オウガバトルは人間の野心や欲望との関係の描き方についてとても秀逸だと思うような描写が多くとても好きだ。

  敵味方関係なく登場するキャラクターほぼ全てに誰かとの関係があり、たとえ相手がローディスの人間であってもそのキャラクターの厚みの部分をしっかりと描いてくれる。

  終盤の敵キャラクターであるボルドウィンとリチャード、タムズの関係もとても好きだ。一見支配関係が明確で部下に対して高圧的に当たっているように見えてもその裏で実はお互いを尊敬していたり愛憎を持っていたりするのがたまらない。

 

キャラクター同士の関係性をじっくりと見たい人や、ずっしりと重い世界観を感じたい人におすすめ


  前途のようにオウガバトルは敵も味方も複雑な人間関係を持っており、それぞれの目的や感情をしっかりと描いてくれる濃密な人間ドラマが何よりの魅力だと個人的に思っている。

  駆け出しの主人公達が荒廃した世界の現状を見つめる最中その上部のレイヤーでは利権を争うドロドロの人間模様が描かれたり、パラティヌスの王となる幼なじみを守るという約束を抱えながらもその幼なじみと敵対関係にある軍に身を置く事の苦悩、親友が自らの元を離れていく苦悩、どれも苦しい事ばかりだがそれでも自らの掲げた信念を押し通していくしかない。

  そんな泥臭い話を常に感じたい方にはとてもおすすめだ。


  現在はNintendo 64Wii / Wii Uバーチャルコンソールでしか遊べないが、もし手に取ってみたいと思う方が居ればおすすめしたい。

  最近はNintendo switch onlineでも64のソフトが遊べるようになってきているので、そこから遊べるようになればとても嬉しいと思っている。